吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日

投稿者: | 2013年2月9日

吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日

森光子 朝日新聞出版 640円 2010年

大正時代に群馬の田舎から吉原遊廓に売られた女が書いた日記(大正15年刊行)。それを現代仮名遣いで復刻させたもの。 どれくらい意訳されているのかはわからんが、当時検閲が入ったと思われる部分もそのままベタ塗りになっているので、 たぶん、原本に極めて忠実に再現されているのだと思われる。文庫本で文字ばかりで317ページ。

表紙は青春恋愛小説っぽいが中身はさにあらず。 周旋屋に連れてこられるところ~吉原で客をとる日々~脱出するところ・・までが日記形式で書かれている。 吉原花魁リアルノンフィクションですな。

当時の吉原遊廓が、いまでいう処のソープランドとホストクラブ(キャバクラ)を足したようなシステムであったというのが、 読んでると具体的に解ってくる。 また、楼主による搾取の仕組み、張店から客の取り方、お遊び代や日常的に必要な経費、髪型や衣裳、吉原病院での検査の様子、などが、 細かな金額やらとともに書かれている。 吉原の遊びの仕組みだけではなく、内側の女がどのような日常生活を送っていたのかを示す資料としての価値も大変高いと思う。

↓こんな具合に書かれている。

×月×日 宵から、客が付いた。誰かしらと思って上がって見ると、二度目の客、名前も知らない、またなんの職業だかも知らない。また一時間かよくて四時間位の 遊びだろうと思っていると、客は、「今晩は部屋へ入って見よう」といったので、宵から部屋へ入るなんて、しかも二度目で、今夜は少し縁起がよさそうだと思った。 やがて蟇口を開けたから、幾程出すかと思ったら、六円きりしか出さない。妾はなんだ馬鹿にしていると思ったので、「六円きりでは部屋へ入れないわ」 前の笑顔はどこへやら、却って腹立たしくなって、自分でも随分現金なものだと思う位だった。「初会とは違うのだから、あと五円出しなさいよ」と少し苦々しく云った。 それでも出しそうもないので、「部屋は部屋だが、六円きりでは、廻し部屋よ。十円なければ本部屋へは入れないのよ。甲の四時間のなら本部屋へ入れるけど・・・ あと5円出して宿っていらっしゃいよ」というと渋々しながら「じゃ仕方がない。そうしようか」~

×月×日 午後七時、外人が二人、通弁一人連れて上がった。軅て間もなく、梯子段をどんどん下りてくる音がすると思うと、張店へ御見立に来た。 おばさんが障子を明けると外人は赤子の様に、「皆しゃん今晩は」とニコニコ笑いながら立っている。張店では大勢の花魁たちが、お互いに顔を見合わせて笑っている。~

×月×日 髪結銭、三度分九十銭払わなければならない。千代駒さんから借りて一円やる。髪結銭ばかりでも、大変。一日置き三十銭ずつとして、月に四円五十銭、 五円はやらねばならない。時々おごるし、油、もとい、花がけ、だなんだと云うと、月に大分かかる。安く見て八円。 誰が為めに この髪結ふぞ 悲しくも 夜毎に変る 仇し男の為め。

初見、張店、廻し、など、遊廓解説本ではお馴染みの単語も、なるほど実際にはこういうシーンで使用するのか・・と合点がいく。

日記を書いていた「春駒」という源氏名の女(とあえて書こう)の心境や洞察力と表現力、などがまあ、 一般的には読みどころとなるのだろうが、私的には、そういった小説好きな人と言うよりは、 遊廓好きな人とかが読んでも面白いと思うんだけどなあ。 あんまり遊廓マニアの中では著名ではない?ようだが、おすすめ。

しっかし大正時代に遊廓に売られる女がこんだけ読み書きできるって日本の教育レベルは凄いなあ。

そして、これを読むと吉原遊廓内側の生活は、今の倫理観では所謂性奴隷に近しいものなんだが、 それをあまり感じさせないのは時代のせいなのか、我々の民族性なのか、春駒の書き方なのか、私の免疫なのか、何なのか・・。出版社が朝日新聞出版であることに関しては、あえて何も言いません(笑)。